東北被災地を忘れない!2018 富岡⇒勿来編 20180310

歌うようになめらかに、小説のように繊細に、ドキュメンタリーのようにリアルに、自転車で走り見たこと感じたことをたくさんの方に伝えられたらいいのですが、言葉足らずでうまく伝えられません。でも少しでも現地の様子が伝われば!と写真をたくさん掲示しています、もしよかったらご覧ください。

2011年3月11日午後2時26分に起きた東日東北地方太平洋沖地震による災害とその地震と津波により引き起こされた福島第一原子力発電所事故による災害をあわせて東日本大震災となります。

翌年2012年に東北のランナーを励ます気持ちから東京⇒仙台まで400キロをタスキを繋ぐ「東北被災地を忘れない!400キロリレーマラソン」が開催されました。PoTaBeRuでは第二回目の2013年にランナーサポートボランティアとして参加させていただきまいた。その後400キロリレーマラソンの会のあたたかい心使いから、ランナーサポートメンバーを中心に22014年には東京から仙台までマラソンランナーが繋いだタスキを仙台から東京へ24時間で送り届けてたり、また2015年には東京から仙台まで海岸線をコースとしてタスキをつなぐ「400キロリレーライド」を開催しました。

このリレーライド開催に際してコース設定のため東京から仙台まで何度も試走を繰り返しました。試走の中で心に残った場所、たくさんの場所が震災の大きな爪痕と自然が織りなす素晴らしい景色が交互に映り心に残りました。

日立や大津の海岸線、漁港など大きな被害となったいわき、松川浦、町も鉄道も流され甚大な被害と多くの方が亡くなられた宮城県海岸線の山元、岩沼、閖上などなど、忘れられないところばかりです。

「東京から仙台まで海岸線をルートとして進みたいがどうしても通れない場所」となってしまった富岡、双葉、浪江がありました。東日本大震災のもう一つの災害を受けた場所です。このため400キロリレーライドでは、いわきからコースを西にとり郡山へ向かいました。郡山の仮説住宅では富岡町から避難されたで方々がたくさん暮し、同じ敷地内の「おだがいさまセンター」では語り部の青木さんから富岡町の素晴らしさと地震発生時の混乱、震災後のみなさんの生活など、とても興味深く貴重なお話をいただきまいた。この話は忘れられないものとなったり、また忘れてはならないものとなりました。

400キロリレーマラソンとの出会いと大賀さんとの忘れない「竜田駅」の思い出!
東京から仙台まで走る東北被災地を忘れない!400キロリレーマラソンとの繋がりを作り400キロリレーライドの開催のきっかけを作り実現へと一緒に活動していただいた大賀さん、400キロリレーライドの開催に向けて当時はたくさんの道を一緒に試走しました。中でも思い出に残ったのは2014年にたった2人で走った水戸から日立、そしていわきの海岸線、薄暗くなる夕方にゴールした竜田駅はとてもさびしいところでした。
当時は常磐線がやっと竜田駅まで開通はしてはいたものの駅近辺の楢原町は避難指示解除準備区域に変わったばかりで住民を含めて宿泊が禁止された区域でした。、どの家にも灯りはともらず、人や動物の気配を感じない、車も走らない、音のない所でした。自動販売機などはコイン投入口はガムテープでふさがれ電源が切られているので音もしません。
音がない町のさびしさを全身で感じながら、この場所をリレーライドのコースに含めるのは、まだ早いと判断しました。
あれから4年が経過し常磐線が富岡駅まで延長された事もあり、大賀さん富岡ライドの連絡をいただき、富岡駅から桜で有名な夜ノ森までご一緒させていただきました。東京から富岡に向かう列車の中では懐かしい話をしなが過ごし、富岡駅から2人で「忘れないシャツ・オレンジ版」を着て富岡の町をぐるっとはしりました。

常磐線富岡の駅舎は津波で流され、土壌は放射能に汚染され、しばらく立入が制限されていた富岡駅が近代的な駅舎に生まれ変わり鉄道も開通しました。この先富岡駅⇔夜ノ森駅⇔大野駅⇔双葉駅⇔浪江駅間の20.2キロの鉄道はまだ未開通ですが駅前から出発する代行バスが富岡駅⇔浪江駅間を繋いでいます。

駅前には商業施設や住宅地が広がり近代的な復興住宅がならび、にぎわう街が戻るのを待っているようでした。
陸前浜街道 国道6号線はこの先から自転車などは通行禁止、手前を左折して富岡町役場方面へ向かいます。
右側に町役場、文化交流センター、左には「廃炉国際共同研究センター」が立ち並びます。廃炉作業は国際的に経験が少ないので注目されているのでしょうね。
昨年の3月は制限区域で入れなかった夜ノ森の桜並木・・・富岡町の一番の名所です。
ここから制限区域、入れるのはここまでです。
1日も早い常磐線開通を目指して夜ノ森駅も復興工事が進められていました。
当時テレビニュースの中継はここから放送されてましたね「高津戸スクリーニング場」です。
滝川ダムから見下ろす福島第一原子力発電所、原子炉建屋の上に機燃料取り出し用カバーが設置されています。
東京電力「伝える。遺す。廃炉の記録」の写真はこちらから http://www.tepco.co.jp/decommision/about-f-nps/photo/index-j.html
たくさんの鉄塔が立ち並び富岡町を挟んで北の福島第一、南の第二原子力発電所へと送電線が結ばれています。
原子炉建屋の屋根が吹き飛び住民が避難するときに放たれた牛など家畜が当初野生化していましたが現在はすべて捕獲され見かける事はありません。

市街地も建物が新たな建設されたり古い建物の復旧工事もはじまり活気が戻ってきます。

再び富岡駅に戻ってきました。

駅前の「さくらステーションKINONE」に飾られた夜ノ森の桜並木の写真、満開の時に見たいですね。

富岡駅と竜田駅の間には福島第二原子力発電所があります。入口にあったコンビニエンスストアは建物もなくなり「特別テロ警戒中」の電光掲示だけがありました。

2014年8月に400キロリレーライドの試走で初めて来た竜田駅。駅前の線量計は2014年0.226µSv/h、2016年0.182µSv/h、今年2018年は0.131µSv/hで減少していました。駅前は大規模な造成工事が行われていたので、来年には富岡駅前と同じように近代的な復興住宅地となっていると思います。

原発事故対応拠点として重要な役割を果たした「Jヴィレッジ」、スポーツ施設としてもとに戻すため大規模な修復工事が行われていいました。新たにドーム型の競技場見たいな建物が建設されていました。

津波で流されてしまった広野の駅前から海岸にかけてベルトのように防災緑地が広がります。海岸線には景観を損なわない程度の防潮堤、広い道路、そして小高い丘の防災緑地、住宅地や商業施設、駅と線路の配置です。さすがの日本の土木技術だとおもいまいた。この配置は広野から南下するとたくさんの海岸線で見る事が出来ました。

津波でほとんどの家が流されてしまった久之浜も同様に海岸線と住宅地の間に小高い防災緑地が造成されていました。

海岸線の道路では一部内側に付け替える工事が行われていました。

漁港や海岸線と住宅地が近い地域は高い防潮堤が建設されていました。

たくさんの住宅が津波により流されたところは、広い道路と防災緑地が広がり、当時の様子はうかがえません。

防災緑地の向こうには美空ひばりさんゆかりの塩屋灯台。当初初めてここを訪れる前は塩屋灯台の存在も知れいませんでしたが、どんな時もいつまでもみんなに力を与え続けている美空ひばりさんは偉大な方、自分もここを訪れるたびに力を頂きました。

小名浜港は巨大なガラス張りの水族館「アクアマリンふくしま」そしてこれまた巨大なイオンモールがオープンをまち、福島の大きな観光と商業のスポットとなりました。

400キロリレーライド試走の時に津波より破壊された防潮堤と家屋、うなりをあげてフル回転する火力発電所、どちらも震災の爪痕と強く感じたこの場所もきれいに整備されていました。壊れた防潮堤の一部がモニュメントとして当時を語っていました。この防潮堤の上にみんなで上って海を見ましたね。

福島県と茨城県の県境、江戸時代に関所「勿来関」がった勿来にゴール。「な来そ」とは「来てはいけない!」。東日本大震災は「な忘れそ」で「忘れてはならない!。

今まで記事「東北被災地を忘れない!」はこちらから  東北被災地を忘れない!

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gps trackmap & profile
合計距離: 106322 m
最高点の標高: 231 m
最低点の標高: 2 m
累積標高(上り): 1034 m
累積標高(下り): -1031 m
総所要時間: 06:53:05