はじめに、この記事は私「やがみひろあき」が個人として夢舞いマラソン実行委員会にボランティアとして参加した感想をもとに掲載しています。NPO法人東京夢舞いマラソン実行委員会の認識とは異なる箇所があるかと思います。あらかじめご了承の上ご覧ください。
2001年元旦に「世界の先進国主要都市には例外なく万人単位のランナーが参加できるマラソン大会がある。トップランナーもファンラン・ランナーも、障害の有無を問わずに誰もが走れるマラソン大会を都心に創設したい。」という、壮大な夢が込められた小さなイベントが行われた。そして2003年1月7日には「都心を走ろう3万人で」をスローガンに「ユニバーサルで目抜き通りを祭り気分で粋に走ろう」という意味を込め「NPO法人東京夢舞いマラソン実行委員会」が活動を開始し本格的なマラソン大会が開催された。2007年の東京マラソン開催によりひとつの転換期を向え、これからの夢舞いは「東京を車から人の町へ」というメッセージを発信するイベントとして、マラソンにとどまらず、自転車もウォーキングもインラインスケートも何でも遊べる、道路や横丁を開放する「ノーカーディ」実現を大きな目標として継続されている。2008年から東京の街をのんびり自転車で走るポタリングが加わり、昨年よりゴミを拾いながらのウォーキングするトング隊も並行して行われるなど、アイディアあふれるユニークなマラソンイベントとして成長し続けている。
上記内容の一部は東京夢舞いマラソンウェブサイトより転載させていただいています。また過去の東京夢舞いマラソン開催報告はこちらをご覧ください。
今年も正月明けにマラソンは12回目ポタリングは4回目の準備がに始まった。
1月21日の第1回実行委員会にはたくさんのスタッフが集まり、昨年の報告と今年のタスクやスケジュールの確認が行われた。また、開催概要の素案が検討され、なかでもスタッフの関心は開催場所に集中した。昨年に続いて国立競技場になるのか、それとも東京マラソンと同様にみん広場か、それともそれとも・・・・今年の会場はどこになるんだろうか?。そして開催に向けて事務局と分科会(製作班・会場班・走路誘導班・ポタリング班)が活動を開始した。
ポタリング班は2月4日に分科会を開き昨年の良かった点と改善点を出し合い開催概要の素案が出来上がった。
開催目的は①42.195Kmを走りながらランナーと自転車それぞれの交流を図る意イベントとする。②東京の街をのんびり自転車で散歩することにより、東京の素晴らしさを肌で感じてもらう。③交通ルールを守りならが車道を走る事により、自転車の楽しさを知り交通ルールやマナーに対して理解を深めてもらうと共にエコや地球環境に関心を持ってもらう。の3つとした。またコースにつては昨年同様、マラソンコースに準じしながらも自転車の走りやすさ・楽しさを考慮したコースとする方針にきまった。
第2回実行委員会は2月17日に開催された。開催日は例年通り体育の日の真ん中なので今年は10月9日、もちろんマラソンとポタリングの同時開催で距離は42.195キロに決まった。しかし会場はこの時点では決まっていなかったが誰もが注目しているコースの素案が走路設計班より提出された。夢舞いの特徴は毎年コースが変わるとこにあるのだ。そのコースはとみん広場を会場と仮定してスカイツリーを回るすばらしいコースだった。次回実行委員会までにさらに練って3月下旬にには試走会が予定された。
第3回実行委員会は3月11日に予定されていた。しかし、それは午後2時46分に起きた東北地方太平洋沖地によて中断された。東京でも大きな揺れを感じ鉄道をはじめ交通機関が一瞬にして止まった。16時23分に携帯へ委員会中止のメールが届いた。
その後は東日本大震災によりすべてが止まってしまった。翌日12日に開催予定だった「TOKYOセンチュリーライド葛西2011」はもちろん中止。その後もスポーツイベントに限らず数々のイベントの中止が相次いだ。今年の夢舞いはどうするのか・・・?。(被災した方々の悲しみや苦労に比べるれば怒られてしまうが我が子の中学卒業式まで中止になったのは父親として残念だった)
震災や原発事故の影響によって夢舞いが開催される10月がどのような日本になっているのが誰も想像できなかった。連日放送される被災地の状況を受け止めながらも、希望を捨てずに準備を進めることが何より大切とスタッフは感じた。
3月の委員会は中止となったが、桜咲く4月9日に第1回目の試走会がマラソン・ポタリング合同で行われた。会場はとみん広場を想定し8時30分にスタッフが集合、大震災の犠牲となった方へ1分間の黙祷をささげ試走会が開催された。
時折ちらつく雨模様のなか、都庁を出発し四谷、溜池、皇居、本郷、根津、三ノ輪、隅田、スカイツリー、浅草、上野、春日、飯田橋、神楽坂、目白、高田馬場、小滝橋、神田川、淀川、都庁へ戻るルートで走った。皇居や隅田公園、神田川など桜の名所が多く存在し雨天ながらもすばらしい景色の中での試走会となった。しかし、まだまだ余震が続き被災地の状況が連日テレビで放送され、また原発事故も先が見えない状況が続いていた。スタッフ、いや日本全体の人々の気持ちは重かった。いま思うとその気持ちを打ち切りたかったのだろうと思う。試走後に走路設計班を中心に会費制で懇親会が開かれコースや開催について夜遅くまで熱く語り合った。
そしてエントリー開始が6月22日と決定した。ポタリングは500名のエントリーを予定している事から、サイクルショップが賑わうゴールデンウィーク前にポスター掲示をお願いしたい。より多くの自転車ファンの方の目に留まるり夢舞いポタリングを知ってもらいたい。そんな気持ちを製作班へ伝へポスター製作を急いでもらい4月27日にすばらしいポスターができた。
コース見直しにより5月5日にマラソン、5月7日にポタリングの試走会が開催された。初回に続きポタリング試走会は悪天候。とみん広場をスタートし赤坂見附で土砂降りとなり中止。しばらく様子を見て小ぶりになったので文字通りポタリングペースでのんびり走りコース上のサイクルショップへポスター掲示をお願いした。最初は恥ずかしかったがどこのショップも協力的でだんだんうれしくなった。
第5回目の実行委員会は5月13日に開催され、コースが再検討されマラソンは5月22日、ポタリングは6月4日の試走会でコースをほぼ固めることに決まった。そして6月22日のエントリー開始のためホームページのリニューアルが行われいよいよ準備が本格化してきた。
6月10日に開催された第6回目の実行委員会で熱く討議されたのは、Tシャツのデザインと素材。夢舞いマラソン/ポタリングの大きな目的は相互に交流を持ち一体感を感じられる事。またコース上の地域の方へも夢舞いのコンセプトが伝わること。このため参加者にはできるだけTシャツを着て走ってもらいたのだ。このため誰もが着たいと思えるデザインと品質にこだわってきた。昨年は建設途中のスカイツリーをデザインし丈夫なドライ素材ですばらしいTシャツだった。今年はどうする?、震災に対しての思いを沢山の方に伝えたい。参加者の思い、スタッフの思い、夢舞いを取り巻く沢山の方々の思い・・・・大島理事長と製作班によりいくつかのデザインとメッセージが提案され夜遅くまで討議が続いた。結局委員会では決まらずメールで意見を述べることになった。
7月8日に開催された第7回実行委員会でTシャツは「IMAGINE」の大きな文字と地震発生を表す「3.11」「午後2時46分を示す時計」のデザインに決まった。夢舞いに参加しこのTシャツを着て走るひとりひとりがそれいぞれの思いももって42.195キロを走ってもらいたいという思いが込められた作品だった。
他には参加者に楽しんでもらえるようにとハニースポットやGoogleMaps、Myペットボトル、缶バッチなどのアイディアが多数スタッフから提案された。
開催まで3ヶ月を切りいよいよ忙しくなってきた。7月27日の第8回目実行委員会では、各分科会の進捗と製作物の確認が行われた。また検討事項や懸案となっていた事は、すべてたたいて結論を出し本番に向って突っ走れる状況へと酢進んでいった。これで10月9日に向って突っ走る事となった。
開催までの進捗確認を中心に第9回目の実行委員会が8月19日に行われた。参加者へ送付する必要書類の進捗確認が行われ作成期限が次回委員会の9月7日に決まった。また、楽しく42キロを走れるようなアイディアとしてコース上の美味しいお店を紹介するミツバチ隊のハニースポット探しも本格活動に入った。ポタリング班は参加者に安心して走ってもらえるようにバイクメンテナンスブース設置を考えていた。私が以前つくばりんりんロード筑波山口休憩所で知り合いになった「サイクルメンテナンス&カフェWindy」さんにボランティアとしての参加をお願いしたところ快く受けてくださった。お店を臨時休業して駆けつけてくださるとの事で感謝の限りである。
予定通り9月7日に第10回目の実行委員会開催され、参加者へ送付する参加案内とマップ、メッセージカードなどの確認が夜遅くまで続いた。
第11回目の実行委員会は9月23日に行われた、朝から沢山のスタッフが集まりマラソン1500名、ポタリング200名へ送付する参加案内封入と発送作業に追われた。1枚1枚封入物をまとめる者、封筒に入れる者、封をする者、宛名ラベルを貼る者・・・・まさに手作りのマラソンイベントである。同じようにボランティアへも担当する役割毎にボランティアマニュアルが発送された。
大会4日前の10月5日。最後となる12回目の実行委員会が開催された。大会当日に向けて文字通り最終確認が行われた。そして開催に向けての勢いをつかるかのように21時から会費制で懇親会が開催された。この時点で週間天気予報は晴れマーク!、懇親会は盛り上がった。(昨年は雨の開催だったので)
10月8日大会前日。設営は13時からだったので、私は9時にとみん広場を出発しコースの最終確認を行った。数箇所に道路工事が行われていたがどこも警備員に工期を確認すると「本日中で終了」と回答がありほっとした。根津神社では早めの七五三や結婚式で賑わっている。谷中では子供まつりが開催されていた。
13時にとみん広場に戻るとスタッフと共にたくさんのボランティアが集まりこれから準備を進めるところだった。会場班は受付けに必要な名簿や配布物の整理、走路班は道案内や応援に必要なメッセージボードを作成していた。みんなやテキパキと準備を進め17時に解散、明日を待つばかりとなった。
その後、夜半に強い通り雨が降ったがすぐにやんで朝にはとみん広場のところどころに水滴が残る程度で予報どおり雲間から青空がのぞかせていた。
6時頃から会場周辺をウォーミングアップで走るランナーが増え始まり7時を過ぎると受付開始を待つ列が徐々に長くなってきた。そして7時30分に受付開始と共に1500人のランナーと200人のライダーが次々と集まりとみん広場は一杯になった。
8時30分より開会式が始まり大島理事長の大会宣言にて第12回東京夢舞いマラソン・第4回東京夢舞いポタリング大会が幕を開けた。目白研心中学校・高等学校のチアリーディグのすばらしい演技で最高潮となる中で9時にマラソンがスタートした。今年はマラソンとポタリングの交流をさらに深めるためにハンドバイクが同時にスタートした。
一般のポタリングスタートは9時30分を予定していたが、マラソンの盛り上がりにより15分遅れの45分スタートとなった。30名の参加者に1名のサポートライダーが入り3分間隔でスタートしていった。
マラソンランナーとバイシクルライダーが共に同じTシャツを着て東京の街をのんびり走るて、交流を深めたり、東京の街のよいところを沢山発見をしてもらえるとうれしい。
事故も怪我も無く、大きなトラブルも無く17時に全員がフィニッシュして東京夢舞いマラソン/ポタリングは終了した。
終了後は、ボランティアとスタッフでの懇親会が会費制で開催され、遅くまで成功の喜びを分かち合いました。
私がこの素敵なイベントにボランティアとしてかかわるようになって早くも3年。2009年はマラソンのしんがり隊に自転車で混じり遅れているランナーのサポートを担当。昨年の2010年は毎月開催される実行委員会へも少しずつ参加し走路決定や試走会開催、配布物作成等を担当しました。当日は雨の中を参加者と共に走りサポートを行いました。そして今年2011年はポタリング部門のリーダとして委員会参加して、ポタリング分科会のをしましたさまざまなところでとても勉強になりました。そして。
そして、何よりは手作り運営であるがゆえに参加者とボランティア、スタッフそれぞれのふれあいがとても心地良いんですよね。
スタッフやボランティアはどんなときも手弁当、交通費も自費、もちろん懇親会は会費制 ・・・・ そしてなんと実行委員会でお茶を飲む人は100円カンパなんですよ(笑)。それでもボランティアやスタッフが集まりがんばれるのは日ごろ参加しているマラソン大会で沢山の方の声援を受け、沢山の方の支援に支えられ、マラソンを楽しみ記録を更新しているからだそうです。このような気持ちはマラソンを愛する方々のゆとりある心から生まれるのでしょうね。共にスポーツを楽しむ仲間に対して「尊重」と「もてなし」の心が原点と強く感じ自分もそうありたいと思います。
最後になりますが、東京夢舞いポタリングに参加いただいた皆様、ポスター掲示にご協力いただいたショップの皆様、サイクルメンテナンス&カフェWindyさん、楽しむための自転車学のみなさん、度重なる試走会等の準備段階から協力してくれた かんとうさん マサドンさんに厚くお礼申し上げます。
【コース】
GoogleMapsデータはこちらから(スマートフォンからGPSをONにしてアクセスしていただくと現在位置とコースが表示されて便利です)
“東京夢舞いマラソン/ポタリング メイキング” への2件のフィードバック
ポタリングリーダーの大役をお疲れ様でした。
夢舞いの一年を一気に読ませていただきました。
あの時、一緒に同席した事など思いだして、私も振り返っております。きめ細やかな計画と行動力、そして情熱を持たれポタリングの参加者が増えるよう努力されましたね。試走会でのポタの皆さんとランナーの私たちが笑顔で挨拶を交わすこと・・夢舞いの原点と思いました。
お疲れさまでした。そしていろいろとフォローありがとうございました。
「サイクルショップにポスター貼ってあったよ!」って連絡もらった時には、ほんとにうれしかったですよ。心温まる言葉もいただいて、しっかり役割をまっとうしなければと勇気をいただきました。
終わってしまえば、また来年の準備が始まりますね。お互い厳しい時期もあると思いますが、気負わず肩の力を抜いてやりましょう。これからもよろしくお願いします。
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