東北被災地を忘れない!2016 石巻⇒気仙沼編 20160320

東日本大震災の翌年2012年に「被災地の人々に思いを馳せて、自分たちに問いかけながら」東京から仙台をマラソンでタスキを繋ぐ「東北被災地を忘れない!400キロリレーマラソン」が開催された。
その翌年2013年からPoTaBeRuはランナーサポートのバイク隊として参加、たくさんのランナーと交流を深めるとともに被災地についても様々なことを教えていただきました。
2014年はバイク隊も単にランナーサポートだけではなく「もっと何か出来るのでは?」と自問自答しながらランナーが東京から仙台まで11日間で繋いだタスキを仙台で受け取り25時間で再び東京に繋ぎました。「忘れない400キロリレーマラソン」のタスキが東京と仙台の間で和を描きました。
そして昨年2015年には「東北被災地を忘れない!400キロリレーライド」として自転車による東京・仙台間を走る大きなイベント開催となりました。

4月11日に東京亀戸香取神社を小雨の中マラソンと同時にスタート。ライドのタスキは津波の爪痕残る海岸線を7日間にわたり走り44人(のべ70人)のライダーにより東北に思いを馳せ642kmの道のりをタスキで繋ぎ5月9日に、12日間でタスキを繋いできたマラソンと合流し仙台勾当台公園に小雨の中ゴールし終了いたしました。
東北地方太平洋沖地震により液状化が激しかった水郷の里「佐布」、瓦が落ちた蔵の街「佐原」、港に瓦礫が流れ込んだ「大洗港」、常陸那珂火力発電所や東海村原子力発電所を通り津波により漁港が破壊された「大津港」。ここから海岸線には高台を除いてほとんどの家屋は流され土台や塀だけが残る風景が広がりました。いわきからは福島第一原子力発電所事故により立入禁止の為、除染が進む山間から風光明媚な夏井川渓谷や安達太良山、阿武隈川沿いを景色を見ながら郡山・福島へと走り再び相馬から津波の被害状況を見ながら走りました。岩沼の「千年希望の丘」で手を合わせ、山元町では「中浜小学校」を視察しかたりべの会の渡邉会長より校舎屋根裏部屋で生徒と先生が一夜を過ごし助かったことや津波の怖さを知りました。閖上では「閖上の記憶」で語り部の方のビデをを見たり日和山に上り津波のすごさを感じ、ひまわりプロジェクトに参加して希望の種をまきました。仙台勾当台公園でちょっと早めに着いたマラソンランナーに迎えられたゴールは小雨の中でしたがとても感動的な瞬間でした。

今年2016年の「東北被災地を忘れない!400キロリレーライド」開催はありませんが、被災地ではまだまだこれからも復興が続きます。実際に現地に行ってみると「いつまでかかるんだろうか?、本当に復興できるんだろうか?と素直に思うと同時に焦りを感じます。これからが「忘れない!」がとても大事だと思います。

そこで「忘れない!」ために有志を募って以前からとても気になっていた津波による甚大な被害となった南三陸町を走ってきました。
陸前高田は2013年のツールド三陸から毎年ボランティアで走っていますが、南下した南三陸町ははじめとの訪問でした。

東京駅から朝一番のはやぶさ1号(06:32発)で仙台に入り、仙石線に乗り換えて石巻に向かいます。

仙石線は陸前大塚駅 -から陸前小野駅間で線路が津波で破壊され高台に移転され新しい線路となって2015年5月30日に開通しました。

石巻駅(09:23着)に到着、石ノ森章太郎はこの近くのご出身だったんですね、サイボーグ009が出迎えてくれました、この世代の自分にとっては懐かしいです。輪行解除していると駅前に住んでいる方に声をかけられしばし歓談、自転車好きな方でした。震災前の石巻はとても閉鎖的で外から来る方はよそ者扱い、駅で訪れる方と話をしたりすることは少なく、引っ越してくる方も馴染むまでには相当の期間が必要だったそうですが、震災以降はがらっと変わり快く受け入れるようになったそうです。震災による良い効果だったと語ってくれました。

駅前商店街は石ノ森章太郎ゆかりのフィギュアとモダンな建物が多く素敵な感じです、旧北上川が近づくにつれて道があれてきます。まだまだ津波で削られた舗装はそのままです。

女川はかさ上げ工事が進み、山を切り崩され平地は赤土におおわれていました。

今回の目的地の一つはこの対岸に建っていた「雄勝病院」です。あの辺にたってなのかなぁ?。

雄勝病院が建っていたところには慰霊碑がありました。刻まれたお名前を拝見するおt年配の方の名前が多く逃げることさえできなかったのがうかがえ悲しくなります、ご冥福をお祈りします。

雄勝漁港の海産物屋さん・・・美味しそうなホタテがいっぱい!です。これは食べたかった。

神割崎はとてもきれいな風景でした。

国道を走るとプレハブ造りのコンビニがいくつも現れます。自転車で走る自分たちにとってはおなじみのコンビニ!、あってあたりまえな感じですが、ここでは5年の時間がたってやっと便利になったのだと感じました。もちろん駐車場は砂利敷きです。

二つ目の目的地の「ホテル観洋」です。津波により被害を受けた町民をいち早く受入れ、当初孤立した南三陸町復興の拠点となったそうです。混乱する中で女将さんの迅速な判断や対応が素晴らしかったそうです。実際ここに来てみてホテルの大きさに圧倒されます。

三つ目の目的に、南三陸町防災対策庁舎です。最後まで防災無線で避難するようアナウンスを繰り返し津波の被害にあってしまった職員。忘れない!し忘れてはいけない!、この建物は大きな遺産です。

南三陸さんさん商店街はとてもにぎわってました。お腹空いた~!。

志津川駅は現在BET(バス・ラピッド・トランジット)が停車します。

志津川中学校の丘から見る南三陸町

四つ目の目的地。津波で襲われてたくさんの方が生還したくさんの方が亡くなられた公立志津川病院が台湾の方からのたくさんの義援金で南三陸病院としていち早く再建されました。

当時のままを思わせる気仙沼線の志津浜駅

気仙沼線の線路はいたるところで分断されていますが、道路と線路跡を繋いでBRTが南三陸町(志津川駅)と気仙沼駅を結びます。

無事に東京へ向かう終電に間に合う時間に気仙沼駅に到着。

駅のホームにバス(BRT)が停車しているのは、なんとなく不思議な光景です。気仙沼から東京へは最終

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gps trackmap & profile
合計距離: 125948 m
最高点の標高: 97 m
最低点の標高: 1 m
累積標高(上り): 1847 m
累積標高(下り): -1842 m
総所要時間: 08:13:46